飛鳥山プロジェクト
江戸時代から人々に愛された
公園を整備して守り続けていく

公園や緑地の計画・設計や都市計画は、大日本ダイヤコンサルタントの柱となる事業のひとつだ。それに加えて、施設整備後も運営管理に携わるPark-PFIという事業への進出が始まっている。その第1号が、東京都北区の飛鳥山公園におけるプロジェクトである。

飛鳥山公園を現代の社交場に
 JR王子駅のすぐそばにある飛鳥山公園は、300年近い歴史をもつ憩いの場。江戸時代から桜の名所として知られており、明治時代には上野・芝・浅草・深川とともに日本最初の公園に指定された。現在は多彩な遊具が設置されているほか蒸気機関車などの展示もあり、桜の季節以外も家族連れを中心に多くの人で賑わう。
 そんな飛鳥山公園の一角に2023年3月、新たな施設がオープンした。カフェレストラン「APRON MARK」と「おやつ屋my me mine」が入居する「れすとらん館」と、パーゴラによる休憩やイベント時の賑わい拠点として利用できる開放的な「展望ひろば」で、いずれも飛鳥山公園の魅力向上事業「shibusawa hat(シブサワハット)」の一環として整備された。
 shibusawaとは飛鳥山をこよなく愛しこの地に別荘を構えた明治の実業家、渋沢栄一のこと。hatは彼が社交場で愛用したシルクハットに由来している。「渋沢栄一は飛鳥山に国内外の要人を招き、交流を深めたそうです。shibusawa hatという名前には、それにあやかって多様な人が集まる現代の社交場になってほしいという願いが込められています」と事業マネジメント部計画室の無量井春菜は説明する。
 この事業は東京都北区が公募した飛鳥山公園Park-PFIの事業者の代表企業として大日本コンサルタント(当時)が進めたものだ。Park-PFIとは公園内の施設の建設と運営管理に携わる民間事業者を公募で選ぶ制度で、この案件は飲食店施設の建設と展望広場の整備に加え、20年の運営管理も行う。
(左)れすとらん館(右)展望ひろばからの眺望
公園をつくるだけでなく運営管理にもチャレンジ
 飛鳥山公園Park-PFIの公募情報が発表されたのは2019年のことだった。当時の状況について、事業マネジメント部の高柳乃彦はこう語る。
 「公園の計画や設計は全国各地で多く手がけましたが、運営管理まで携わった経験はありませんでした。しかし、2017年にPark-PFIの制度が始まり、公園の運営にも民間企業が関わるようになってきたので、一度やってみたいという思いはありました」
 知名度が高い公園のリニューアルに携われば、一般の方々に知ってもらう機会にもなる。しかし高柳は歯がゆさを感じていた。
 「公園が完成してしまえば、その後は関与したくてもあまりできないんです。完成後に公園を有効活用して魅力をさらに高めていくのも大切なことなんですけど」
 加えて、社員たちには飛鳥山に対する愛着があった。「当時のオフィスは駒込にあったので飛鳥山から近く、新入社員研修の一環で樹木の勉強に来ていたんです」と無量井は思い出を語る。
 官民連携の推進を目指していた経営陣の後押しも得られ、大日本コンサルタントは飛鳥山公園Park-PFIの事業者に応募することになった。
実績のあるパートナーと検討を重ねる
 とはいえ、事業に携わるためには公募で選定されなければならない。そのためにまず実績のあるパートナーを探すことからスタートし、株式会社日比谷アメニス、株式会社内藤ハウス、東京北区観光協会とともにコンソーシアムを結成した。
 日比谷アメニスは日比谷花壇グループの造園会社で、業界での知名度は抜群だ。内藤ハウスはシステム建築やプレハブを得意とする建設会社で、公共建築の実績も多数有する。そして、観光協会は北区の観光PRを担う組織で、地域の発展には欠かせない存在である。
 「北区の要望は、桜の季節以外もさまざまな人が集まるようにしてほしいということでした」と高柳は語る。そこで着目したのが飛鳥山を社交場とし、公益のために尽力した渋沢栄一だった。「地域の社交場」というコンセプトは、かくして生まれた。
 その後も提案書を出すまでには紆余曲折があった。ポイントとなったのはいかにして利益を確保するかだ。Park-PFIではテナント料や自動販売機の売り上げなどで収益を得て、維持管理費や土地使用料を支払う。これまで手がけてきたビジネスには明確な受注金額が存在し、その枠内で利益を出せばよかったが、このプロジェクトでは収入を得る仕組みやそのための投資についても自力で考える必要があった。高柳たちはパートナーと検討を重ね、提案内容を固めていった。
度重なる向かい風を乗り越えて
 こうした苦労が実り、21年3月、大日本コンサルタントを中心とするコンソーシアムは飛鳥山公園Park-PFIの事業者に選定された。その年の6月に北区と協定を締結し、いよいよ事業がスタート。
 「設計を始めると、いろいろと想定外のことが起きたんです」と高柳は振り返る。「公園樹木を伐採を減らすために建物の位置を見直したことや、埋蔵文化財調査を避けるために施設の基礎の工夫などを検討しました。そのほか、施設で使用する電力が足りなくて増設したり、規制の関係で展望ひろばの仕様を変更したりとかいったこともありました」
 なかでも難航したのが、コロナ禍での飲食店施設に入るテナントの誘致だった。大手の外食チェーンなどさまざまな会社の出店を当初想定したものの、出店に及び腰の企業が多い状況であった。担当した無量井は「飲食事業の厳しい時期だったので、なかなかテナント候補を決められずにいました」と苦笑する。
 悪戦苦闘の末、今一度、飛鳥山公園の価値を向上させてくれる企業を探そうとチームで話し合い、大手チェーン中心から、地域密着型の企業にターゲットを変えて、再度誘致活動を行った。その結果、複数の企業の中から、スタートアップ企業の株式会社ミナデインとの間で交渉が成立。その経緯について、高柳は「ミナデインの社長である大久保さんの子どもの頃の夢が『公園で駄菓子屋さんをする』ことだったんです。それで、公園と駄菓子を掛け合わせれば、今の子どもたちにとってもより魅力的な空間になるんじゃないかというお話がプレゼンでありました。それに我々も共感して、ぜひお願いしようということになりました」と説明する。
 「おやつ屋my me mine」はまさにそのコンセプトで生み出された店だ。そのほかレストラン「APRON MARK」では離乳食を無料で提供するなど、家族連れをターゲットとしたアイデアが次々と実行されている。「向かい風の中でのテナント探しでしたけれど、だからこそ素晴らしい会社と出会うことができたように思います」と、無量井は感慨深げに話す。
地域で愛される公園を目指す
 新施設のオープンから半年あまりが経った。今もプロジェクトを担うメンバーたちは運営管理の業務でしばしば飛鳥山を訪れる。イベントを運営したり、草取りをしたり、花を摘んで訪れた人に渡したりと様々な活動を自主的に行っているスタッフもいるという。地域で長く愛される公園を目指し、率先して行動しているのだ。
 自らもよく「れすとらん館」を利用するという無量井は「ミナデインさんがお客さんや飛鳥山の立地や季節に合わせて臨機応変に対応してくれています。地域密着型を得意とする企業だからできることでこの会社と一緒にやれて良かったと思っています」と感謝を口にする。高柳も同意見で「ホスピタリティが非常に高いという話を多方面からよく聞きますし、本当にいいパートナーが見つかったと思います」とのことだ。
 ここまでの道のりについて、高柳は「初めてのことなのでいろいろと苦労はありましたけれど、知らないがゆえに『なんとかなるんじゃないか』で動くことができて、それが良かった面もあるように思います」と語る。
経験とノウハウを生かして未来へ
 とはいえ、事業はまだ始まったばかり。飛鳥山公園と大日本ダイヤコンサルタントの関わりは、これからも20年近くにわたって続いていく。
 「ここを社内の若手が新しいチャレンジをできる場所にしたいと思っています」と無量井は抱負を語る。「机上と実践は違いますから。ここでちょっとしたイベントを開催してそのリーダーをやってもらうなどして、経験を積んでもらうフィールドにしていきたいですね」
 その背景には彼女自身の経験がある。飛鳥山公園Park-PFIの事業が始まった頃、彼女は大阪支社で管理技術者として活躍していた。しかし、かねてから、新しい事業に関わりたいと発言していたこともありこのプロジェクトへの参画を二つ返事で受け、 21年7月からチームに加わったのだ。「公園などのインフラ整備の仕事は初めてだったんですけど、手を挙げた社員がこうしたチャレンジをさせてもらえるのが、この会社のいいところだと思います」
 高柳は「公園にはいろいろなポテンシャルがあって、関わり方次第でいかようにも生かせるものだと改めて実感しました」と話す。「今までは『つくる』ことが自分の仕事でした。しかし、今後は『生かす』『活用する』ことに主眼を置いて『こういうように利用したいからそのようにつくる』というような時代に変わっていくべきだし、そのためのアイデアを出せるようになっていったらいいなと思っています」
 飛鳥山公園Park-PFIによって、新たな一歩を踏み出した大日本ダイヤコンサルタント。ここで得た経験とノウハウは、これからさまざまな形で生かされ、全国各地に展開されていくことだろう。